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朝倉在重 (河内守) : ウィキペディア日本語版
朝倉在重 (河内守)[あさくら ありしげ]
朝倉 在重(あさくら ありしげ、天文14年(1545年) - 元和元年11月6日1615年12月26日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。通称は彌六郎、六兵衛。受領名河内
== 概略 ==
越前国朝倉氏の一族とされる。父は朝倉景高。兄に景鏡景次。また、越前朝倉氏と駿河朝倉氏は別系、もしくは遠祖を同じくする遠縁であるとの説もある。
父景高が朝倉孝景との争いに敗れて越前国から逃れた際、父と別れて駿河国に逃れ今川氏を頼り、今川氏滅亡後は中村一氏、次いで徳川家康に仕えたとされている。
今川時代は駿河国安倍郡柿島周辺を領し、安倍七騎と呼ばれた勢力団の筆頭にも挙げられていたが、今川氏の衰退と共に駿河国に侵攻してきた甲斐武田氏、次いで徳川氏の支配下に入った。その過程で安倍七騎は分裂内紛し、在重は同じ安倍七騎で義弟の大石五郎右衛門を暗器(細工をした矢)で殺害したとも伝わる。
以降は徳川氏の家臣となったとも考えられるが、家康の関東移封および徳川政権の時代になっても、朝倉氏は変わらず旧領を支配していることから、豊臣政権下では在地勢力として、家康の関東移封後に駿河国を支配した中村氏に仕えていたとも考えられる。
子に宣正在重(宣正の子とも)、景年(御旗奉行衆使番衆など700石)がいる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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